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司法試験合格体験記 私の司法試験合格法

嘉村 孝

 

略歴 昭和48年明治大学法学部卒業
   昭和49年司法試験合格
   昭和52年裁判官任官
   昭和58年弁護士登録
   平成21年から24年新司法試験考査委員
   平成28年9月明治大学法曹会司法試験支援部会長、
   平成29年答案練習会会長
 
事務所
102-0093東京都千代田区平河町2丁目3番10号
アーバントリー法律事務所 弁護士 嘉村 孝
電話: 03-3261-5860 FAX: 03-3264-8456
 https://www.urbantry.tokyo/    (事務所ホームページ)
 http://kamura-lu.jp/    (東方からの見聞録)
 http://hagakurebushido.jp/ (武士道バーチャル博物館)

 
 

 

1 はじめに

 以下は、私がかつて出版した「民法学習のすすめ(早稲田経営出版)」の一節から引いたもので、法的紛争解決の考え方の基礎を記したものですが、それが、実務家になる者を選別する司法試験における答案の書き方につながると思うので、時は移ろい、人は変わっても、ここに記した考え方の方向自体は悪くないかと考え、少々難しいことを、あるいは、知っている人には易しすぎることを自覚しつつここに提供します。
 さらっと読み流してください。

 

2 司法研修所の「民事裁判」、「民事弁護」教育と民法答案の作成
(1) はじめに、次の例を考えて下さい。
「AはBから馬1頭を100万円で買い、引渡を受けたが、受胎した良い馬と思っていたその馬は案に相違して駄馬だった。BがAに代金100万円の支払を請求したところ、弁護士に相談したAは錯誤により無効であるとして支払に応じない。この場合の判決事実を摘示せよ。」

 
 

(2) まず、民事判決書には「事実」を記載することが要求されています(民事訴訟法253条1項)。
 この「事実」は、いわゆる「判決事実」と呼ばれるものです。それは、旧民訴的な言い方をするとすれば、「口頭弁論において当事者の主張したところを、要領を摘示して記載しなければならない」とされる当事者の主張そのものです(同条2項。兼子外「条解民事訴訟法」253条2項の解説)。
しかし、当事者の主張といっても、ただダラダラと記すわけではありません。主要事実、間接事実をきちんと区別し、特に主要事実はもれなく、間接事実は重要なものを選んで(同上)、原告と被告との言い分を、それぞれ成り立つ様に書くのです。この「判決事実」を判決書に記載する意義については、裁判官が判決を書くに際し当事者の主張を整理し、両方の言い分をしっかりと頭に入れたうえで理由を書くということが裁判所の判断の公正さにつながること、でき上がった「判決事実」は上訴審のためのいわば準備手続的な役割を果たすことなどが指摘されています(兼子「民事判決に於ける事実の意義」民事法研究Ⅱ・29頁)。
 では、裁判官はこの「判決事実」を取りまとめるに際して、当事者の主張をどのように分配して書いたらよいのでしょうか。この間題について通説的、実務的に行われているのが「法律要件分類説」です(同上179条の注釈)。この説は各法規の要件に応じて自己に有利な法規の適用を要求する者はその適用の前提たる要件事実を主張、立証しなければならないとするものです。即ち、滝川「挙証責任(法律実務講座民事訴訟法編101頁以下)」は次のように言います。
「判決において判断の対象となるものは、口頭弁論終結時現在における権利又は権利関係の存否であるが、実体法は直接権利の現存を規定の対象とせず権利の発生・障害・消滅の法律効果にその要件として或る事実を結びつけた規定を中心として組み立てられているのである。すなわち、実体法の各規定は、特定の権利に関しては、その権利の発生・取得という法律効果を定める規定(権利根拠規定)と、その反対規定として権利発生の障害事由を定める規定(権利障害規定)、及びいったん発生した権利の消滅事由を定める規定(権利消滅規定)に分類される(更にこまかくいえば、反対規定の定める障害・消滅に対する再反対規定も存在する)。
一方、裁判はこの様な実態法規の適用(不適用)によって権利が現存するか否かを判断するのであるから、権利根拠規定が適用されれば、権利障害規定・権利消滅規定が適用されない限り、権利は現存するとの裁判をしなければならないのである。
従って、権利の現存を主張する者(通常原告)は自己に有利な規定である権利根拠規定の要件事実について、相手方(通常被告)は自己に有利な規定である権利障害規定及び権利消滅規定の各要件事実(論者の例、虚偽表示、要素の錯誤、及び各本条の但書の要件事実等。後者の例、法律行為の取消、契約解除、弁済、免除、相殺、消滅時効等)について挙証責任を負うのである」と。
そもそも権利というものは抽象的な存在であり、目には見えません。よって、ある具体的な「事実」があったならば、権利が存在すると「推定される」、あるいは「みなされる」のです。ですから原告は、まず権利が発生したと推定される事実を主張し、被告は、その権利が消滅したと推定される事実を主張しなければならないというわけです。

 
 

(3) 具体的にいいますと、原告は自己の請求を理由づけるものとして、まずは請求原因事実と呼ばれるものを主張、立証することになります。これに対して被告は右請求原因事実と「両立し」(このことが大切)、その発生を障害する事由、あるいは消滅させる事由、阻止する事由等のいわゆる抗弁事実を主張、立証します。さらにこれに対して原告は、右抗弁事実と「両立し」、これをつぶす事実としての再抗弁事実を主張、立証しなければなりません。請求原因事実はある具体的な事実ですが、抗弁、再抗弁も事実。これらは、例えば消費貸借契約、(それと両立する)時効、(それと両立する)中断事由(期限の話しはとりあえず措いて)を主張するというわけです。
 このようにして証明責任が「分配」されていくのであり、これを「判決事実」として記載しなければならないのです。このような条文の文言を重視する法律要件分類説に対して、当事者間の公平、立証の難易等によって主張、証明責任を分配しようとする見解もありますが、いまだ実務に採用されるには至っていません。公平というのは本来立法者に向けられるものであり、法を適用する司法機関が公平を根拠に証明責任の分配をするのでは三権分立に反するなどの批判が加えられているのです(同書105頁、なお倉田「書評」民商法雑誌83巻6号166頁)。もちろん法律要件分類説においても、その修正、醇化の努力が続けられています(三井「法律要件分類説の修正及び醇化に関する若干の具体的事例に就て」等)。

 
 

(4) それでは法律要件分類説では上の例題についてどのように分配するのでしょうか。BとしてはAに対し売買代金の支払を求めています。つまり、本件 のいわゆる訴訟物は売買代金請求権です。そこで売買代金請求権の発生原因事実を請求原因事実として考えなければなりません。では、売買契約の要件事実は何でしょうか。民法555条により財産権の移転と代金支払請求権発生の合意ですね。Bがこれを主張すれば、代金請求権が発生したのだからお金を払いなさいと請求することができることになります。具体的にはAが口から出した音波がBの耳に届き、Bが口から出した音波がAに届いて、契約の申込と承諾の意思表示が交わり、売買契約が成立したのだ(もちろん契約書というスタイルもあります)、と主張することになります。
 これに対してAの方もすんなりとはお金を払いません。錯誤の抗弁、権利発生障害事由を提出するわけです。錯誤については定義規定がありませんが、上記の口から表示行為として発せられた音波と脳の中で考えついた概念とが異なっていた、つまり意思と表示とが不一致だった、という主張が錯誤の主張ということになるでしょう(意思主義)。「異なっていた」ことは元の売買契約成立のための意見表示と「両立」します。
 それでは本件は果たしてそのような錯誤にあたるのでしょうか。この場合は動機の錯誤ですが、動機の錯誤は果たして民法95条にいう錯誤にあたるのかどうかが問題になります。もしあたらなければAが受胎していた良い馬と誤信していたのに実は駄馬だったという事実を主張しても、それは抗弁事実を主張したことにならず、いわゆる「主張自体失当」ということになります。ここにおいて初めて「動機の錯誤が抗弁としての錯誤たりうるのか」という、いわゆる「論点」が出てきます。「論点」とは、このように「主張自体失当」となるのか否かという解釈論の場なのです。これを私は、民法答案における「ミクロ」と名付けています。そしてもしこれが抗弁としての錯誤であるということになりますと、Bの方は次に再抗弁を提出してきます。例えばAが錯誤に陥るにつきAに「重大な過失」があると主張するわけです。でも、〇〇の事実では重大な過失にはならないよと、と反論すると、ここでも主張自体失当かどうかという「論点」が生まれます。こうして請求原因、抗弁、再抗弁、さらには再々抗弁というふうに事実の存在を主張するべき証明責任は分配されます。これらは全て「両立」します。つまりまず売買契約をいい、次に錯誤があるか否か、さらに重大な過失があるか否かというふうに進行していくのです。これこそ正に民法答案作成のための、私が名付けるところのマクロ的発想にほかなりません。古典的名著我妻「民法総則」の錯誤の部分をよく読むと正にそうした意識で書かれていることが分かるでしょう。もちろん、それを継ぐ本も同様です。こうして民法答案作成のマクロとは、司法研修所における民事裁判、民事弁護の教育と一致するものなのです。

 

 

3 民法答案の具体的作成法

 2において、民法答案の作成のためには、実は司法研修所における民事裁判、民事弁護の教育と一致するセンスが必要であるということを簡単に説明しました。ただあまりにもかたくなに「要件事案」主体で答案構成を考えていると、司法試験の答案構成としては「考えすぎ」ということになってしまい適当ではありません。2のような考え方が根本なのだということを頭に入れながら「できればそれに沿うように」分かりやすく、素直に答案を構成していけばよいのです。
 

(1)マクロについて
 それでは具体的に民法答案をどのように作成したらよいのでしょうか。これは、憲法、行政法、刑法、全てにつながる発想です。まずマクロについて今の話を念頭におきながら説明しましょう。
私はまずあくまでも原則としてですが(例外的な問題もあるので)問題の最後をしっかりと見ることが必要だと思います。そこには「○○の引渡を請求しうるか」というような言葉(つまり「欲求」)が書いてあることが多いでしょう。この言葉(欲求)こそが問題文の問うているところなのです。そうであればこれに答えるように筋道をたてた論述がなされねばなりません。そうしますと、例えば「○○の引渡を請求しうるか」とある場合、「○○の引渡を請求しうる『根拠』は何か」ということにまず思い至らなければなりません。これが実務的には訴訟物です。そうなると引渡請求権の根拠としては、当然、物権的請求権と債権的請求権とが考えられてきます。こういう原則を忘れてはなりません。そこで具体的な事例の中身を見て、その間題ではどちらの請求権について検討したらよいのかを明らかにしなければなりません。そしていざその請求の可否という問題に出会えば、あくまでも条文をふまえつつ、その要件が満たされているのか否かを彼此検討するということになります(ここがミクロ)。
 以上を別の角度からみればこういうふうにもいえるでしょう。つまり試験とは、法律実務家を採用するための試験です。ところで法律実務家としてはある具体的事件にぶつかった場合、まずどの文献をみたらよいか、そしてその問題を解決したなら次にどの文献をみるかといった作業を繰り返し、最後に一定の法律的結論に至るのです。そして法律学の試験は正にそのような「次にどの本を読んで調べたらよいのか」という本を検索する能力をがあるか否か問うための試験ともいえるでしょう。なぜなら、「次にどの本を読んで調べたらよいのか」は、逆に本に書いてありませんから。ですから、このように「次にどの本を読んで調べたらよいのか」ということこそがマクロ的発想であるといってよいのです。
 そして、このような全体的筋立(マクロ)を考えるについては、問題を読んで、頭にピン!と感覚的にひらめいて、「この間題の論点はこれだ」と飛びつくよりも、「本間でまず論点としなければならないのはこれこれだからこれだ」といった、なぜそこが論点になるかということを全体の論理を頭に置きつつ考えていくという発想が大切かつ有効であると思われるのです。このような発想が十分に実現されることによって、分かりやすい、全体の流れをもった答案が作成されることになるのです。
 さらに、大切なことはそのような全体の論理的節立ての仕方というのは個々の問題ごとに異なっていて、それぞれの場合に応じて解答者が考えていくものであり、教科書には一般的、抽象的なことしか書いてないのですから、多数の問題にあたってそうした能力を身につけていくことが必要だということです。

 
 

(2)ミクロについて
 さて(1)に述べたところがマクロですが、次に、受胎した良い馬と思っていた馬が実は駄馬だったことが果たして錯誤にあたるのか、あるいはうっかりそう思ったことが重大な過失といえるのかといった個々の問題、主張自体失当になるのか否かの問題、これが論点つまりミクロです。そこで、ミクロ(論点)をもう少し分かりやすい、でも少々下品な言葉でいえば「いわゆる法律の抜け穴になるか否かのぎりぎりのところである」といってよいでしょう(自由国民社刊「法律の抜け穴全集」という本があるとおりです)。
 例えば契約が有効か無効か、善意の第3者にあたるかあたらないかといったところ、より厳しく考えれば、刑法で殺人になるのか傷害致死なのかといったような分かれ目、これこそが正にミクロであり論点なのです。つまり、もし売買契約が有効だということになれば、物件の引渡請求権なり代金支払請求権なりが発生し、それによって経済的利益を受ける当事者にとっては有効無効ぎりぎりのことをして経済的に利益を受けるという意味で一種の抜け穴を通ったことになります。このような場面こそが正にミクロ(論点)なのです。書店に並んでいるたくさんの法律書はこのような抜け穴になるかどうかのぎりぎりのところをどう解決するかを検討したものといってよいでしょう。大切なことは各論点についてはある事実が抜け穴になるという説、ならぬという説、折衷説という3つの説があることです。早くいえば刑務所の塀の外、内、真中という3説があるのです。つまりは、肯定説、否定説、折衷説です。ですから解答者としてはできる限りこの3説に触れ、それぞれの得失を論じ、あくまでも自分の説(自説)を述べながら、反対説の妥当でないことを明らかにし、しかも自説の欠点をも考慮したうえでそれの解決策を示すということまですることが理想です。
 これこそが悩みのある答案であって、そこには一種の〝あじ〝とでもいうべきものが生まれ、高い評価を得ることができるのです。そしてこのミクロ(論点)については、先ほどの全体的筋立(マクロ)と違って、正に教科書に書かれているのですから、何度も本を読みかつ考えるということが大切です。こうしてある論点つまり請求原因なり抗弁なりを解決したうえで、その次は何が論点か、何が再抗弁なのかというようなことをマクロ的思考方法を働かせて発見し、ついには結論に至るということになるわけです。
 と、ここまで書くのは、それこそ対受験生向けとしては「書きすぎ」かもしれません。旧試では上記の考え方がよかったかと思いますが、新司法試験や予備試験ではマトリックス化された採点法がとられて、より淡白でさっぱりとした書き方の方が確実に点数をとっていくのではないか、という気もします。

 
 

(3)全体のバランスについて
 最後に1つ大切なことは、全体のバランスということです。どのような問題にも、出題者が一番論じてほしいところ、ほとんど学説、判例とも固まっていて問題点の指摘程度でよいところ、といった濃淡があるはずです。大事なところには十分な力を傾注し、分かりきったところは絶対ふれねばならないとしても、1、2行で片付けるといった書き方をしてこそ全体の論文が生きてくるのではないでしょうか。その意味でよくできた論文式答案というのは、よくできた映画のようなものではないかと思います。能でも序、破、急といいますが、同じようなことをいっているのでしょう。全体の筋立ての面白さとともに個々の論点では喜びや悩みなど深みある論文式答案の作成を心がけて下さい。

 

以上

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