合格体験記 私の司法試験合格法
高井 健太郎
2016年 明治大学法科大学院修了
はじめに-45歳定年制の実現
自分は、大学卒業後の22年間、東京にある某出版社に勤務し、2013年に法科大学院の未修者コースに入ると同時に退社(厳密には勤務と履修が少しダブります)、法科大学院修了後、2回目に受験した司法試験に運よく合格できました。法科大学院に入る前は、憲法学者の木村草太先生(首都大学東京教授)の本の編集担当をする必要上憲法の入門書を少し読んだ程度で、ほとんど法律の勉強をしていませんでした。そんな自分がなぜ法曹に進もうと考えたかといえば、人生90年を前提とすれば、人生の後半に向けて一度職を変えてみるという「45歳定年制」(持論)が合理的であること、出版社での編集の仕事は大抵やったと感じたこと、また、法科大学院制度で司法試験の合格率も上がって「楽勝か」ということでしたが、それは甘かった。法科大学院の3年間は、原級処分の危機に晒されながら日々の課題を泥縄式にバタバタとこなし、修了後の1年間でようやく「こんな感じかな」と思えた程度でした。したがって、他の合格者のように確固たる司法試験合格の方法論が確立できたわけでもないのですが、本来の法科大学院設立の制度趣旨、あるいは法曹全体のあり方として、曲がり道でくる者がどしどし流入すべきだと考え、自分の失敗、出来なかったことを含め、恥をさらしたいと思います。そのため、予備試験経由で合格を目指されている方、既習者コースに入られる方には、必ずしも参考にならない部分があることをおことわりしておきます。
法科大学院1年目―書くのはまだ早い、でも、短答の勉強は早めに
「家族法って何?」というレベルで法科大学院に入ったわけですが、最初の2か月は、朝は会社に出勤し、それから法科大学院の講義を受けに行き、夕方からまた会社に戻るという生活をしていました。近くの神田神保町の書店で新刊書の著者と挨拶まわりをし、そのまま講義に出るということもありました。ご存知のように、法科大学院の未修者コースの1年次は、憲法、民法、刑法、商法(会社法)等の主要科目の全体を猛スピードで駆け抜けます。自分は、各科目のシラバスにある「予習は十分に」という言葉を間に受けて、基本書を最初からじっくり読み、主要な判例にも目を通して……とやっていたら、ほとんど読めないまま講義を受け、生煮えでどんどん進んでいってしまいました。今から考えれば、ここでの反省としては、予習段階では、基本書の目次を活用してその単元の全体像をつかむことに専念すべきだったということです。その時に大切なことは、常に「条文」を意識することでしょう。司法試験で問われているのは、結局は、その事案の問題解決に適当な条文を適示し、素直に解釈し、事案に適用することだけです。「憲法も実体法の解釈・適用の問題だ」という木村草太先生が言われるように、全科目についてそれは言えるでしょう。条文に始まり条文で終わるのが司法試験に限らず法律実務家の鉄則であり、条文を疎かして、最初から、「論点」や「規範」の記憶に走るのは、かえって遠回りになるでしょう。
そして、受けた講義内容を踏まえたうえで、復習にこそ力を入れるべきです。そこで活用すべきは、司法試験の短答式の過去問だと思います。分野別・肢別に編集された短答式問題集を使って、その単元の条文を中心とした基本的事項の確認を、次の単元に進む前に行っておくのがいいでしょう。この段階では、初見では短答式の問題も半分もできないでしょうが、まずは、問題形式に慣れるという意味でも、短答式の勉強を早めにスタートすることをお勧めします。
そして、この段階で悩ましいのは、論述式問題に対応するために自主ゼミ等を組んで「書く」訓練をすべきか、また、各科目のノートを作るべきか、ということだと思います。いろいろ考えはあると思いますが、基本的事項の理解が不十分なこの段階で「書く」ことは無駄であると自分は考えます。やるとしても、短答式問題の〇×の答えの理由を3~4行で説明する程度で十分であって(司法試験の論文式答案も、その3~4行をふくらませるだけのこと)、間違っても司法試験や予備試験の論文式過去問等に手を出すべきでなく、条文を中心とした基本的知識のインプットに専念すべきでしょう。
ノート作りについては、この段階から始めてもいいと考えます。ただし、最初から時間をかけて詳細なものを作るべきでなく、「骨格」だけのノート、たとえば、条文、制度趣旨、要件、効果だけを簡潔に記していき、履修が進んでいくにつれ段々と肉付けして更新していくイメージです(したがって、ノートは手書きでなくワード等で作成することをお勧めします)。また、講義の事前課題として作成した判例のまとめやレポート等の文字データは、消去せずに残しておくべきです。後述するように、最終的な自己のノートへの一元的集約の段階で、それらのデータはとても役に立つからです。実際に、2回目の司法試験に臨むにあたって始めた自己流のノート作りに、1年次で作成したレポートデータは(内容的に不完全ですが、それを修正して集約していく自体が)とても役に立ちました。
と、エラそうなことを述べましたが、1年次の履修では、案の定、前期の民法総則で「不可」をいただき、「このままでは原級処分は確実!」と、夏休み以降奮起を図りましたが、後期でも、特に民法においては苦戦続きで、かろうじて単位を修得して原級処分を免れた次第です。そこには、先に惜しくも亡くなられた円谷峻先生の「温情」があったと思っています。
法科大学院2年、3年次―基本的事項の正確な理解
法科大学院2年次では、手続法として民事訴訟法及び刑事訴訟法の講義が始まります(現在では、1年次の後半から始めるとも聞きます)。ここでも実体法と同様に、条文に基づき訴状の送達から判決に至る民事訴訟の流れ、任意捜査・強制捜査から判決に至る刑事訴訟の流れを大きくつかみ、弁論主義、処分権主義、令状主義、証拠裁判主義といった基本原則を理解すれば十分で、難しいところには手を出さないことが肝要だと思います。幸いに明治の法科大学院の手続法の講義は、簡潔にして十分なオリジナルテキストに基づき進められ、それをベースに肉付けしていけば、自分なりのノートも作れるでしょう。また、要件事実の履修も始まりますが、これもまた、実務家教員の講義を受けたうえで、テキストとなる『新問研―要件事実』一冊を理解すれば十分だと思われます。
また、ゼミ形式の演習も行なわれます。ここでは、課題の事例問題について、司法試験のように六法以外に何も参照せず時間制限を設けて答案を書くのではなく、基本書等の資料をフル活用して、まずは、フルスケールの答案を時間制限なく作成してゼミに臨むことをお勧めします。それによって、一年次で履修した基本的知識の定着を図ると同時に、教員の添削等も踏まえて完成度を高めていけば、自分なりの論証スタイルが確立されていくことになるからです。特に、ゼミでの発表担当になった場合には、手を抜くことは許されないでしょう。ゼミ生同士が互いに理解を深め合っていくのがゼミの醍醐味だからです。また、ゼミにあっては教員の質問にキチンと口頭で答えられるよう修練すべきでしょう。口頭で説明できないのなら、答案に書くこともできない。そういう意味では、指導教員の力量も問われるでしょう。
3年次では、必修科目が少なくなると同時に、より実戦的な各種の展開演習が用意されます。この展開演習については、法科大学院を利用尽くすため、自分は前期6コマ、後期4コマで全10コマを取りました。適量については人それぞれの考えがあるかと思いますが、定評のあるケースブックを活用したもの、オリジナル問題に取り組むもの、司法試験の過去問を検討するもの等様々あったなかで、司法試験のために役に立たなかったものは1つもなかったというのが実感です。ここでも、やりっぱなしは意味がなく、十分に書けなかった部分については、基本書等で再確認して答案のバージョンアップを図るべきでしょう。
2年次・3年次の悩ましい問題としては、予備校を活用すべきか否か、また、司法試験科目でない講座への取組方などがあると思います。前者については、結論としては、法科大学院を修了するまで予備校の講座や答練を受講する必要はないと考えます。それは、司法試験では、建前としても実態としても、法科大学院1年次・2年次で履修した範囲を超えるものは出題されることはないからであり、そこで履修した「基本的事項の正確な理解」を答案に示すことだけが求められていると考えるからです。司法試験も近づき、法科大学院生が不安に駆られる気持ちもよくわかりますが、手を広げて予備校の通う時間があるなら、法科大学院の講義・演習内容を確実なものにすることに傾注したほうが結局のところ近道であり、それでも予備校を十全に活用したのであれば、いっそうのこと法科大学院を退学して、予備試験一本に絞るのが良いと思われます。
後者の問題は、試験科目ばかりやっていても飽きがくるので、「こころのうるおい」のためにも、法哲学や法社会学等の講座を積極的に受講したほうがいいと考えます。そうした勉強もできるのも「理論と実務の架け橋」としての法科大学院の価値の1つでしょう。ケルゼンや純粋法学についてカッコ良く蘊蓄を傾けたいものです。
法科大学院修了後の直前期―毎週の予備校答練はツーマッチ
法科大学院の全過程が終了した2月からは、さすがに予備校の答練コースを、直前期の全国模試とセットで受講することにしました。それまで、過去問等の検討をしていなかったわけではないのですが、制限時間内に答案を書き上げることはあまり行っていなかったため、その時間内処理の訓練のためのものでした。毎週、2~3科目ずつの答練を行ったのですが、結果として、自分にとってツーマッチでした。参考答案など配られる資料が膨大で、こなし切れず、思いのほか直前期の貴重な時間を取られてしまいました。この時期の予備校の答練は、隔週で2~3科目ずつで充分であって、その分の時間は、法科大学院で履修してきた各科目の「基本的な事項」の総まとめ(インプット)に回すべきだったと反省するところです。収穫は、設問と設問の間の「1行空き」の答案は特定答案とされる可能性があると採点者に指摘を受けたことぐらいでしょうか(しかし、本当かいな?)。
短答式については、この時期には、分野別・肢別で編集された過去問問題集は使用せず、短答試験特有の時間感覚を養う意味で、過去問そのものをプリントアウトして解いていました。
そんなこんなで、司法試験本番を迎えたわけですが、短答式試験についてはまあまあの成績で通過したものの、論文式試験では、やはり、基本的事項の理解の不十分さと、時間内処理能力不足のため、あえなく轟沈しました。
2回目の試験に向け-自己流のノートへの集約
司法試験不合格の結果を受け、明治大学の法務研究所に所属して、過去問を使用した週2回の答案作成と、その添削・指導ゼミを受けるとともに、自習席の貸与を受け、そこで自学自習を行いました(自宅では自学自習ができない体質のため)。
自学自習の内容としては、各科目「基本的事項の正確な理解」が不十分であったという反省を踏まえて、各科目で自己流のノートを作成し、そこに、これまで法科大学院で履修してきたものを集約することにしました。「基本的な事項」を「正確に理解する」ためには、反復して身につけるしか方法はありません。そのためには遅まきながら、1科目につき1冊のノートに情報を集約する必要があると考えたからです。そして、とりあえず1冊に集約することが重要なので、それは自己流のノートでなく、判例百選でも、市販の『趣旨・規範ハンドブック』や予備校の教材等に集約していいと思います。ただし、『趣旨・規範ハンドブック』等の論証集に集約する場合には、自己のメモでかなり補う必要があり、かえって手間なので、おすすめしません。
そして、その自己流ノートは、前記のように、条文を中心として、法科大学院で作成した課題レポート、判例のまとめ、レジュメ、答案等がベースとなります。そこに、過去問、市販の演習書、予備校答練・模試等の検討で気づいた事項を入れ込んでいき、自己流のコンメンタールを作っていくというイメージです。この自己流ノートについては、結果として、整理しきれず思いのほか膨大な量になってしまい、司法試験直前期に全部をさらうことができないという失敗を侵しました。しかし、自己流ノートを作る過程で、「基本的事項」が整理され、身につくというメリットもあったと思い、ノートを作ったこと自体は最終的に役に立ったと考えています。惜しむらくは、前記のように、法科大学院のもっと早い段階でノート作りに着手していれば、より整理された精度の高いノートができたのではないかというところです。
一方、法科大学院修了生にとっての過去問検討の重要性については、他の合格者の方々の言われる通りであり、自分が付け加えることはありません。ただ、過去問の検討は、各科目の「基本的事項」がどのような形で問われているかを確認し、さらに、「基本的事項」を「正確に理解」していることを、試験委員に「きちんとみせる」書き方=構成の練習として活用すべきであって、それ以上のものではないでしょう。この点、法科大学院の3年次の民事訴訟法の展開演習で教示いただいた門口正人先生(有責配偶者からの離婚訴訟やレペタ訴訟等の重要判例の最高裁調査官、名古屋高裁長官等を歴任)が、常々、「俺は、司法試験の受験生が過去問をやることには反対なんだ」と言われていたことが思い出されます。
合格に必要なこと-「守護霊を大切に」
2回目の司法試験については、まったく十分ではないものの、前回に比べて各科目につき「基本的事項の正確な理解」が深まったという自覚のもと、短答式試験については前回同様にまあまあの成績で通過、論文式試験も前回に比べればまともな成績で、なんとか合格することができました。
結局のところ、司法試験の合格に必要なことは何か。法科大学院3年次の展開演習でお世話になったある先生とお茶をしていたときに、この質問を投げかけたところ、その先生は、こうおっしゃいました。「守護霊の力である」と。
受験生は、自分が「できる」から司法試験に合格するのではありません。司法試験を受験するという環境を与えてくれた家族、親族、同僚達、また、学習環境を整えてくれた法科大学院や先生方の力支えがあって、はじめて司法試験に合格できるのです。そうした自分を後ろから見守ってくれている「守護霊」の力を感じて、こころ穏かな気持ちで司法試験の受験会場に臨むことができたならば、合格は間違いないでしょう。
みなさまの健闘を祈っています。