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司法試験合格体験記

〒104-0061中央区銀座4丁目13番5号
新銀座法律事務所 弁護士 門馬 博
電話: 03-3248-5791 FAX: 03-3248-5794
mail: h-monma@shinginza.com
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略歴

昭和24年生まれ
福島県相馬市出身
相馬市立中村第一中学校卒業
福島県立相馬高等学校卒業
明治大学法学部卒業(昭和48年)
明治大学大学院法学研究科財産法専攻終了(昭和50年)
昭和57年 旧司法試験合格 司法研修所 37期
東京弁護士会登録 19300
明治大学法曹会事務局長(平成27年6月27日より同29年6月26日まで)
平成29年7月から明治大学法曹会予備試験答案練習会幹事長

  

合格体験記執筆の理由

平成27年明治大学法曹会事務局長に就任し 近年明治の合格者数、合格率が芳しくないというので、その対策として合格者に合格体験記を思いつき直ちに執筆を願いしました。法科大学院教育、学部の受験教育において私が先輩から手取り足取り教えていただいた明治古来の合格法を受験生が理解しているか疑問に思ったからです。私たちが、40数年前に教えていただいた司法試験の合格法は実務家弁護士になってからでも大きく生かされており受任した事件の思考方法、解決法は、まさに司法試験の合格法そのものであると思うようになりました。私に教えてくれた駿台法科研究室は法科大学院設立と同時に廃止されとても寂しい気持ちです。あの研究室伝統の合格法は現在の法曹教育に生かされているか心配となり筆を執ることにしました。早慶東中に数でかなわないまでも明治が対抗できたのはこのきめ細かい指導体制があったからと思えてなりません。研修所でも臆することなく修習できました。私の考えが正しいかどうかは現在の受験生が判断していただきたいと思います。私は12回もうけてとても苦労しましたので1年でも早く明治の受験生は栄冠を獲得していただきたいです。精神的にも混乱し彷徨したあの苦しみは今となっては良い思い出ですができればないほうが良いと思います。最後に昭和57年、合格当時に書いた体験記と福島県立相馬高校の後輩のために書いた体験記を掲載しますので参考にしてください。少し恥ずかしいですが事実なので暇なとき読んでみてください。

  

私が思う合格の秘訣

第1 一日10時間勉強する。学問に王道なし。努力しないで合格するなどありえません。特別良い方法などありません。10時間机に向かうことができない受験生は合格が難しいと思います。この試験は科目も多く範囲も広いのでどう逆算しても最低の条件です。私は最低でも6年間以上これを実行しています。方法論とか何とか言う前に集中して机に向かえなければ話になりません。厳しいかもしれませんが私の感想です。私自身が平均的能力しか有していないのでこのような基準になるかもしれません。特別な能力があれば勉強時間を短縮できるかもしれませんが、少なくとも私の知りうる合格者はその程度はやっています。あまり勉強しなかったという人がいますがそれは受験生を惑わすもので、そういう人こそ人の何倍もやっているのが通常です。よく聞きますが、「基本書を読んだけど理解できません。どうしたらいいでしょう。」読書百篇意おのずから通ず。東大だろうが、早慶だろうが皆同じです。1,2度読んで理解できる人なんかいません。実務に出たらもっと厳しいです。その比ではありません。死ぬまで勉強するんです。法曹とはそういうものです。
 
第2 勉強は基本が大事です。基本の第一は条文です。条文をないがしろにして合格はあり得ません。何よりも条文を大切にしなければいけません。私たちの法曹が実務でも行うのは法律があることを前提としてその法律を解釈することです。解釈学です。ただ、条文は国民全体にあまねく適用される関係上抽象的にならざるを得ないので、1回読んだだけではわからないのです。解釈が必然的に求められます。条文は、抽象的だけでなく他の条文と交錯して矛盾するような場面、そもそも事実に対応する条文が見当たらない場合(例えば類推適用、信義則の応用で対応する。本番ではこれが意外に多いです。)、類似の条文がある場合等ありますが、これを矛盾なく解釈する必要があります。判例、論点はその上に立った先の話です。それじゃあ点は取れないと思うでしょうが、模擬試験と違い本番の問題ではここが試されます。本番で力を発揮するのは条文です。答案では、条文のどの部分が問題になっているか端的に指摘して解釈します。このあたりまえのことが欠けている答案が意外に多いと思います。条文を読むのは退屈ですが、工夫してこれを回避しましょう。例えば、基本書を読むとき該当条文を意識し、論点をさらに意識する工夫です。昔の基本書を最近読んだら、答練の問題、過去問の論文、択一の出題個所が各所に書き込んでありました。前学長山本進一教授の駿台法科研究室研究室主任訓話、①常に条文をふまえて考えよ。②基本原理体系の中で考えよ。③誤字脱字は恥と知れ。は忘れることができません。
 
第3は、法律の基本原理体系を早く理解することです。憲、民、刑の基本体系を把握することです。本番では、よく見たこともない問題に出会いますが、慌ててはいけません。ほかの受験生も同じだからです。基本に戻り、体系的に考えて、どの範囲の問題かを考えなければいけません。当たらずとも遠からず、これが大切です。記憶している論点に問題を引っ張ってきてはいけないです。ほとんどの場合、司法試験委員は、受験生はこの基本原理体系を理解しているかどうかを聞いてきます。論点を知っているかではありません。ただ、基本原理は論点より、単純な内容ですから全員が合格することを避けるため、長い問題文を作りその事実関係から受験生の法的思考方法を試します。例えば、共謀共同正犯の問題が出たのなら、共謀という点に意識をもっていってはいけません。有名な練馬事件を思い出さなくても大丈夫です。試験委員は、共同正犯の基本的理解ができているか、刑法の基本原則から共同正犯、共犯を正確に理解していますかということを聞いているのです。共同正犯の本質は、刑法はどうして存在するのかというところに行きつきます。すなわち、社会法秩序の維持のためにあるのですが、被疑者の人権との調和をどう考えるのかというところに行きつきます。これが法律解釈の基本である守るべき利益の対立をどうあなたは考えますかということです。我が国は自由主義国家ですから、憲法上明らかなように国民は明確な法規違反の行動、行為がなければ処罰されません。すなわち、客観主義、道義的責任主義が基本となり 犯罪共同説が通説とならざるを得ないはずです。しかし、本来の責任者黒幕を処罰できない不都合をどう考えますかということを上記の理論のうえに立って簡単に書けば満点です。間接正犯理論を提案しただけでも合格すると思います。
もっと大きな視点から考えると、自由主義体制、資本主義体制を前提にして私的自治の大原則、私有財産制(憲法29条)がとても重要です。民事の個別的解釈はこの原則を理解することなくできないといつも思います。どうして私的自治の大原則が存在するのかこれを的確に把握し本番でも困ったときに利用しましょう。各法律の個別原理はこれから派生します。特に、私的自治の原則の基本内容である信義誠実の原則(民法1条)は使う場面が大きいと思います。条文をそのまま適用すると不都合があると思ったときは信義則です。有名な宇奈月温泉事件は、私有財産制、と契約自由の原則、信義則で問題は簡単に解けるわけです。
又各法律がどうして存在するかをまず大きく把握することです。例えば、民事訴訟法読んでみると手続法ですから無味乾燥で民訴は眠素に通じるといわれます。しかし、民訴とは一体何か、一言でいえば、「私的紛争を適正、公平、迅速、低廉という理想から公権的、強制的に解決する手続法です。」この定義から、民事訴訟法の問題はすべてが解けるといつも思います。この定義の意味をあなたは本当に理解していますか。試験委員はそれを長い事例の中で聞いてきます。本試験、予備試験も同じです。この定義は、自由主義、私有財産制と私的自治の大原則の上になりたっており不明な各論点が一挙に説明が可能になります。昨年28年度予備試験民事訴訟法の問題に弁論主義が出ていますが裁判所は紛争の内容については口を出さないので処分権主義、弁論主義がとられることを理解していれば回答できるはずです。自由主主義、私有財産制では自分の生活維持は自分の責任で守るので訴訟でも私的紛争の内容となる主要事実(請求の原因)は当事者が言わないと採用してくれないのです。ただし、適正な解決という理想から釈明権(民訴149条)を裁判所に認めて当事者主義を修正しています。これが次の論点です。さらに、公的に解決するのですから既判力が必要となり時的限界の問題が次に出ています。当事者の公平な解決から口頭弁論終結時という答えは出ますから、適正、公平、迅速、低廉な解決という観点から既判力の及ぶ人的範囲(民訴115条1項3号)も簡単に回答できるでしょう。以上、すべて定義により28年度予備試験問題は解決ということになります。

第4は、さらに重要なのは法的論文の文章が書けるかということです。以上の基本的事項がわかったとしても、これを答案として書けるかどうかは別問題と思います。わかっていることと実際に書けるという文章力は別な場合が多いからです。
特に本番に行き聞いたことのない問題が出た時どこから書き始めるかこれが重要です。私が最後に行きついたのは法的三段論法による文章です。基本的に判決はすべてこの形式で構成されています。

①まず、事実の分析、抽出をする。その事実に該当する条文を探し出しその該当箇所を指摘する(問題提起)。②その抽象的な条文の解釈について自分の意見を述べる。「私はこのように解釈します。なぜなら、理由を書く。」重要なのがその条文の基本的制度趣旨です。③その条文に分析した事実関係を当てはめる(いわゆる当てはめ)。 そして生じた法的効果を述べる。私的紛争について裁判所が適用法律を選定し解釈し、事実関係に当てはめて適用するのですから当然の成り行きになります。このような形になるのですが、まず私は、基本的事項、制度趣旨をよく知っているということを文章に表し試験委員を説得し高得点をいただくことが重要です。判例を知っているという得点は、基本に比べれば評価は小さいと思います。判例は合格後もいくらでも調べられます。基本をおろそかにすると大変な結果が出す危険があり法曹に採用できません。華やかな議論に目を奪われる必要はありません。
法的論文すなわち答案は書いて、書いて書きまくる。文章力をつける。

ゼミを実力ある友人とする。合格者に何が悪いか添削してもらう。
又、択一、論文ともに過去問に勝る問題はありません。解答を暗記してはだめ。
自分の法的論文の形式で解けるかという視点が重要。合格するためには手段を択ばない気持ちが大切。年下の合格者でもお願いして指導してもらいましょう。
私は、法律には素人の義兄に答案を見てもらい指導を受けたのも役に立ちました。
気持ちを統一するため最後の数年は兄弟、親戚、友人の結婚式、お祝い、にも出ませんでした。故郷にも帰りませんでした。
 
第5 基本書の読み方、論点のまとめ方について。
受験の最後の方は、基本書はまず目次を重要視しました。これをいつもまず読んでから個別箇所に入る。基本書に過去問、模擬試験、択一すべて鉛筆で書き込み体系的位置づけを見失わないようにしました。司法試験委員の聞きたい内容は基本的事項を体系的理解と制度趣旨である。これを肝に銘じました。
典型的法律の制度趣旨を答案に書けるような内容にして事前にまとめておきましょう。他人の答案にあったものでも盗作してもよいと思います。
 
第6 以上の基本原則を前提にして平成28年度予備試験民事訴訟法問題の答案を私なりに書いてみます。参考にしてください。
 


 
(設問1) (1)について

1、XのY2に対する請求を棄却する判決は、譲渡担保の要件事実(主要事実)の認定を前提とする。しかし、Y2は、Xに土地を売買で譲渡したという事実は述べているが、渡担保の基礎となる主要事実を主張していない。そこでこのような判決が弁論主義に反するかどうかが問題となる。

2、私は、弁論主義に反し許されないと解する。以下理由を述べる。

⑴ 弁論主義とは 訴訟当事者に訴訟資料の収集の責任を負わせるものであり主要事実については当事者が主張しない限り判決の基礎とすることはできない。民事訴訟とは、私的紛争を公権的、強制的に解決する手続き法であり、適正、公平、迅速、低廉という理想に基づき遂行される(民訴2条、民法1条)。民事訴訟が私的紛争(民事事件)の実体法ではなく手続規定である以上、私的自治の大原則(民法1条)、私有財産制(憲法29条)の土台の上に立つものであり、処分権主義、弁論主義は理論的に当然の帰結と言わざるを得ない。自分の権利は当事者自らが守ることが要求されるのである。事件の適正、公平、迅速、低廉な解決を図るという面からも訴訟内容については当事者の責任とした方がより効率的である。裁判所の責務は、訴訟の進行手続きの指揮(職権進行主義、民訴145条)紛争の判断ということになる(司法権の独立、憲法76条)。

⑵ Y2は、確かに売買という事実を主張しているが、譲渡担保と比較すると譲渡の主体も逆であり、担保的機能の事実主張もないのでこれをもって、譲渡担保の事実主張があると認定することができない。民訴解決の理想から見ても、迅速、低廉な解決には寄与するかもしれないが、Xにとっては譲渡担保に対する攻撃防御、反論の機会を失うことになり公平、適正な解決からは程遠いと言わざるを得ない。以上より私的自治の大原則を基礎とする弁論主義にも反する結果となるので認めることはできない。

(設問1)(2)について

修習生Bの意見は要するに譲渡担保という主要事実を判決の基礎にするので弁論主義に反し、このまま判決をすると違法な判決となる。しかし、Y2、X間売買の事実、1000万代金不払い、解約の事実を述べ請求棄却を求めているのでこのような場合裁判所が釈明権(同149条)を行使し当事者の主張を整理するべきか弁論主義との関連で問題となる。
私としては、主要事実関係、法的解釈の関係事項について裁判所は釈明権を行使すべきであり、これを怠ると違法性を帯びるものであると解する。その理由であるが、弁論主義を形式的に、厳格に解釈すると、釈明の範囲は限定的にならざるを得ない。民事訴訟は、国家が主体となり紛争を公権的、強制的に解決し、さらに、適正、公平、迅速、低廉な解決を目指す以上、釈明権は柔軟に行使されるべきであり、同条の「事実及び、法律上事項」は本問のような主要事実関係にもおよび 法的構成についても意見を求めるべきである。裁判所が自ら主要事実を提示するものでない限り、又、法的構成を自ら提案説明しない限り許されると考える。法的解釈に意見を求めるのは、裁判所の法的解釈権の領域を侵すのではないかと思われるが、最終判断権が裁判所に認められる以上当事者の主張、立証を尽くさせ公平、適正な解決につながるので問題はないと考える。

(設問2)
1. XYら間の訴訟の判決の既判力は訴訟当事者間にのみ及ぶのが原則である(民訴115条1項1号)。当事者ではないが第三者であるZは口頭弁論終結後、登記抹消請求訴訟の対象である登記について移転を受けており民訴115条1項3号の承継人にZが該当するか問題となる。私は、承継人に該当するものと解する。
当該承継人とは、当事者の訴訟上の地位を承継したものと解する。なぜなら、本条の趣旨は主張立証を尽くした口頭弁論終結後にその地位を承継した第三者に対し既判力が及ばないとすると、既判力の実効性がなくなり再度承継した第三者に新たな訴えを提起する必要が生じ、当該訴訟における国家の公権的判断が無意味になるからである。これは、裁判所の適正な判断が無にきし、主張立証を尽くした当事者にも不公平なものとなる。再度訴訟をすることになれば迅速な裁判という趣旨も失われ、訴訟経済上低廉な解決にもならない。
Zは、登記抹消訴訟の対象たる登記を譲り受けており 当該訴訟の当事者の地位を承継している者である。従って、判決の既判力はZに対しても及び再度登記抹消訴訟を提起する必要がない。

以上

 


 
平成28年予備試験、民事訴訟法問題
 
[民事訴訟法](〔設問1〕と〔設問2〕の配点の割合は,3:2) 次の文章を読んで,後記の〔設問1〕及び〔設問2〕に答えなさい。
【事例】 Xは,XからY₁,Y₁からY₂へと経由された甲土地の各所有権移転登記について,甲土地の所有権 に基づき,Y₁及びY₂(以下「Y₁ら」という。)を被告として,各所有権移転登記の抹消登記手続を 求める訴えを提起した(以下,当該訴えに係る訴訟を「本件訴訟」という。)。本件訴訟におけるX 及びY₁らの主張は次のとおりであった。
X の 主 張:甲土地は,Xの所有であるところ,Y₁らは根拠なく所有権移転登記を経た。 Y₁らが主張するとおり,XはY₁に対して1000万円の貸金返還債務を負っていた ことがあったが,当該債務は,XがY₂から借り受けた1000万円の金員を支払うこと によって完済している。 仮に,Y₁らが主張するように,甲土地について代物弁済によるY₁への所有権の移転 が認められるとしても,Xは,その際,Y₁との間で,代金1000万円でY₁から甲土 地を買い戻す旨の合意をしており,その合意に基づき,上記の1000万円の金員をY₁ に支払うことによって,Y₁から甲土地を買い戻した。
Y₁らの主張:甲土地は,かつてXの所有であったが,XがY₁に対して負担していた1000万円の 貸金返還債務の代物弁済により,XからY₁に所有権が移転した。これにより,Y₁は所 有権移転登記を経た。 その後,Y₂がY₁に対して甲土地の買受けを申し出たので,Y₁は甲土地を代金100 0万円でY₂に売り渡したが,その際,Y₂は,Xとの間で,Xが所定の期間内にY₂に代 金1000万円を支払うことにより甲土地をXに売り渡す旨の合意をした。しかし,X は期間内に代金をY₂に対して支払わなかったため,Y₂は所有権移転登記を経た。
 
〔設問1〕 本件訴訟における証拠調べの結果,次のような事実が明らかになった。 「Y₁は,XがY₁に対して負担していた1000万円の貸金返還債務の代物弁済により甲土地の 所有権をXから取得した。その後,Xは,Y₂から借り受けた1000万円の金員をY₁に対して支 払うことによって甲土地をY₁から買い戻したが,その際,所定の期間内に借り受けた1000万円 をY₂に対して返済することで甲土地を取り戻し得るとの約定で甲土地をY₂のために譲渡担保に供 した。しかし,Xは,当該約定の期間内に1000万円を返済しなかったことから,甲土地の受戻 権を失い,他方で,Y₂が甲土地の所有権を確定的に取得した。」
以下は,本件訴訟の口頭弁論終結前においてされた第一審裁判所の裁判官Aと司法修習生Bとの 間の会話である。
修習生B:証拠調べの結果明らかになった事実からすれば,本件訴訟ではXの各請求をいずれも 棄却する旨の判決をすることができると考えます。
裁判官A:しかし,それでは,①当事者の主張していない事実を基礎とする判決をすることにな り,弁論主義に違反することにはなりませんか。
修習生B:はい。弁論主義違反と考える立場もあります。しかし,本件訴訟では,判決の基礎と なるべき事実は弁論に現れており,それについての法律構成が当事者と裁判所との間で 異なっているに過ぎないと見ることができると思います。
裁判官A:なるほど。そうだとしても,それで訴訟関係が明瞭になっていると言えるでしょうか。 ②あなたが考えるように,本件訴訟において,弁論主義違反の問題は生じず,当事者と 裁判所との間で法律構成に差異が生じているに過ぎないと見たとして,直ちに本件訴訟 の口頭弁論を終結して判決をすることが適法であると言ってよいでしょうか。検討して みてください。
修習生B:分かりました。
 
(1) 下線部①に関し,証拠調べの結果明らかになった事実に基づきXの各請求をいずれも棄却す る旨の判決をすることは弁論主義違反であるとの立場から,その理由を事案に即して説明しな さい。
(2) 下線部②に関し,裁判官Aから与えられた課題について,事案に即して検討しなさい。
 
〔設問2〕(〔設問1〕の問題文中に記載した事実は考慮しない。) 第一審裁判所は,本件訴訟について審理した結果,Xの主張を全面的に認めてXの各請求をいず れも認容する旨の判決を言い渡し,当該判決は,控訴期間の満了により確定した。 このとき,本件訴訟の口頭弁論終結後に,Y₂が甲土地をZに売り渡し,Zが所有権移転登記を経 た場合,本件訴訟の確定判決の既判力はZに対して及ぶか,検討しなさい。
 


 
昭和57年度司法試験 合格体験記(昭和57年執筆)
合格当時に書いた体験記です。長いので短くしました。
 
 
「十二年目の合格」

門馬 博

 
一、 小学校時代
昭和24年、私は、福島県相馬市中村に生まれた。姉の話だとその日は、雨がふっていたそうです。名前は、将来「博士」になるようにと、父が「博」と名付けた。家は、時計眼鏡商をしていたが、さほど裕福ではなかった。
4年か、5年の時、将来の職業について両親は、実家がメガネ屋をやっているので、眼医者になることを希望していた。しかし、小さいながらも医者は、行動の自由を奪う職業に思えた。外に出て積極的な社会的活動をするような職には見えなかった。職業としては、社会的に行動し頭脳を使い自由業のようなものを自然に体が求めていた。そして、そこに弁護士という職業が当然のようにあった。弁護士こそ私のための職業であると思えた。昭和35年小学5年の時、弁護士になることを決意した。弁護士になるためにはどうしたらよいかを考えたところ、一生勉強する以外にはないという結論に達した。一生勉強するには、やはり精神気力が中核になると考え、小中時代は勉強をひかえて大学入学まで気力の充実につとめることにした。そのためよく屋根に上って相馬の町を眺めた。商売をしていたので家は町の中心にあり結構高かったが、隣家の屋根にものぼってよく屋根瓦を壊したのを憶えている。隣の靴屋のオヤジさんは、このような関係から私を非常に嫌い見つけるとよく怒鳴っていた。屋根から眺める相馬の町は大きく、東には太平洋へ続く原野、西には山々がそびえ山あいからはなつ夕陽はとてもまぶしかった。

二、 中学時代
中学に入って、弁護士になるには具体的にどう生きなければならないかを考え、
結論としては、精神の充実、自己の確立が急務だと思った。そこで、他人の行動、言動には関心を払わず、己がどうあるべきかを毎日の生活の中から見出そうとした。頭は坊主にし、特に服装はきたないものを着て、靴下ははかず、体は常に汚れていた。お蔭で女生徒からは全然相手にされませんでした。
優等生は、将来の仕事に役に立たないと考え、なるべく反規範的生活を送った。家から学校まで二分たらずであったが、遅刻の数は学校一だったと思う。職員室につれていかれ説教されたことは数えきれない。その中で私を理解してくれた先生がいた。数学の岩崎先生である。この先生のためにも将来必ず弁護士になろうと決意を固めた。中学時代の成績は、普通でこの時大学は、司法試験合格者が多い、明中東早法のどれでもよいと思った。

三、 高校時代
相馬高校に入学し、いよいよ勉強の時期到来と感じた。しかし、一年の夏、蓄膿症の手術をしてから、理由なき頭痛に襲われ、ほとんど勉強が手につかなかった。このとき、弁護士への道がひじょうに遠いものに感じた。かくて、大学受験は失敗に終わった。
四、 浪人時代
上京して池袋の英進予備校に入った。当時、この予備校にだけ「明中東早法学部コース」というものがあり、田舎者の私にはバラ色のコースに見えた。しかし、入学してみると、特別特色はなかった。ここで、生まれてはじめて勉強らしきものをした。歩く時も電車の中も勉強し続けめでたく明治大学法学部に合格。本当に嬉しかった。
五、 大学司法浪人時代
昭和四十四年、大学に入学すると、入学金を納めたその足で、和泉校舎の基礎研を尋ねた。まだ残雪があり、古く寒々しい建物であった。入室を申し込むと、まだ新入生の募集はしていないと断られた。後日、基礎研入室。我妻の民法総則、ダットサン親族法を読まされたが、まるで理解できなかった。記憶に残っているのは信濃学寮の合宿だけである。
昭和四十五年、二年生となり駿台法科研究室に入室。まわりには優秀な奴がいっぱいいてびっくりした。しかし、精神論では負けるはずがないと自分にいいきかせた。クラスが別れていて、上の受験組に行くのが大変だったが、三番手ぐらいで上れたと思う。嬉しかった。
昭和四十六年、三年の時択一受験、一応基本書は読んでいたが、どれだけ難しい試験かも分からず、当然不合格だった。それでも、憲民刑商の基本書を精読することに努めた。ゼミを組んで勉強を進めるうちに、次第に法律が分かってきた。そして、この試験は、二、三年集中してやれば、いつでも合格できる試験であるとなぜか確信した。無責任な先輩が、「お前は必ず合格するタイプだ。」などと言われたせいもある。これが誤りの始まりだった。そこで、大学院に進むことを決意した。合格する前に論文の一つも書いておこうと思ったのである。基本三法の勉強は、集中してやったが、四十七年の択一も不合格であった。新宿でやけ酒を飲んだ記憶がある。大学院へ入った所、授業は語学が中心で司法試験とはあまり関係はなかった。しかして、四十八年、四十九年、卒院した年五十年も択一はだめであった。
五十年度の択一失敗を機に、五十一年度の択一突破を誓った。方法は、先輩の大堀氏から教えていただいた。条文、問題集を柱にして、各三回ずつやれといわれたので、その倍の六回やることを計画し、その通り実行した。夜も昼も択一であった。一日、十時間以上は、やったと思う。五十一年、めでたく択一合格、初めて司法試験に挑戦しているという実感が湧いた。嬉しくてその夜は眠れなかった。喜び勇んで論文に挑戦したが、まるっきり歯が立たなかった。択一にばかり集中した当然の結果であった。論文の対策は、基本書の精読と論点のノート作りであったが、これがまったく論文に役に立たなかった。これまでの答練でも、論文はよくなかった。そこで、こんどは、論文突破のため論点まとめに集中したがどうも力がつかず、この年参加した合同答練でも成績はあがらなかった。そんなある日、姉の所へ遊びに生き偶然会社員の義兄に答案を見てもらった。そこで、私は「起承転結」という文体を教えていただいた。これが論文上達の第一歩であった。いろんな問題を引っぱりだして書いて見た。なんとすわりのよい文章ではないか。私は今迄理解できなかった所が自然に解けていくような気分であった。そこで、問題ごとに答案形式でまとめて往く事にし、これで論文対策は十分であると信じた。この年の明大合同答練は結局四位で、力もかなりついたと感じた。
五十二年度、まず択一は二年目のジンクスがあったので前年の倍勉強するつもりで臨みなんとかクリアー。論文は自信があったが、何故か論文は歯が立たなかった。書けないのである。答練と本番の違いを思い知らされた。論点中心の勉強では、本番は通用しなかった。その上、第三日目、民訴と刑訴の時間を間違えてしまい、東海大代々木校舎からの坂を涙をこらえて下ってきた。何ともみじめであった。
論文がまったくダメだったのに、その欠点に十分気付かないまま論点中心の勉強は続けられた。答練は、真法会に入会、問題はやさしくよくかけて、優秀賞をいただき自信がついた。しかし、今考えると本当の実力はなかったと思う。答練の成績に気をとられ、本当の力をつけることを怠っていた。
五十三年度、択一は自信をもって受験したが失敗。
安心したのがいけなかった。択一は自分が合格券に入っていると思った瞬間から、すでに圏外あるような試験で絶対気を抜くことは許されなかった。択一の恐怖を改めて知った。それと同時にこの試験は、何か異様なものに思えて来た。今迄の自分の甘さを反省した。次の年は絶対択一を落とすまいと決意、答練は玉成会に決めた。成績は十番内には入っていたが、未だ論点中心の勉強で本番向きではなかった。五十四年度、前年の失敗に懲りて、択一は周到に準備し、なんとか合格できた。論文はよく書けたと思った。期待して発表を見に行ったが、そこに私の名はなかった。これはおかしいと思った。いったいどんな欠点があるのだろう。もう一度合格体験記などを読んで考えた。おぼろげながら基本書が以外とおろそかになっていることに気付き始めた。そこで論文は、基本書中心にもう一度返ろうと決心した。その年答練は、東京法学院にした。成績は優良賞で万年筆をいただき、自信をもって試験に臨むことにした。心・技・体共に充実していた。
五十五年度、択一、この時から傾向が変わってきておりその対策が十分でなかったので、九問も残してしまい泣き泣き答案をだした。今年はダメだと確信した。しかし、以外にも、私の番号はあった。論文に力をそそぎ、万全の体制をとれたと自分では思った。論文もよく書けた。爽快な気分で試験を終了した。発表の日、自分の名があることを信じて出かけた。しかし、今年も私の名はなかった。この時は、本当にガッカリした。基本書も、論点もやっているのにどうしてだろう。何もかもダメだと思えた。この辺から精神的にまいってきて眠れない日が続いた。苦しかった。母親にも本当に申し訳なかった。父はすでになくなっていた。
三十を過ぎて職もなく、仕送りをうけている自分が急にみじめになった。しかし、諦める気にはなれなかった。
義兄にもらった「青年の思索のために・・・・」を読んで、もう一度心を整理し、来年もう一度挑戦することに再度決意した。義兄の忠告でアルバイトも始めた。答練は瑞法会に入会し、途中から、玉成会に変わった。この頃、駿研同学年の佐藤君に会い指導してもらい、その紹介で後輩の石河君に答案を見ていただくことになった。これがよかった。ここで、本当の法的三段論法を教えてもらった。これこそまさに「起承転結」であった。
「事実からの問題提起→法規の解釈→あてはめ→結論」この方法が最良のものだと信じた。又事実分析では、問題になる事実とならない事実の区別を理解できた。さらにいっそう基本書の理解に力を入れた。この年は受験期で質的量的にも一番勉強したと思う。今迄のように、歩きながら、電車の中でも、トイレの中でも、一日中気違いのようにやった。一年はあっという間に過ぎ去り、五十六年択一を迎えた。この年こそ合格を信じ、万全の体制で択一を受けた。しかし、発表を見に行って愕然とした。自分の番号がないのである。目の前が、真っ暗になり法務省の中庭に座り込んでしまった。もう本当にダメだと思った。こんなに勉強してどうしてダメなのか分からなかった。もう年もとっているし、何の定収もなく、自分の今迄の行き方に疑問を感じた。小学校の時決意したものは、夢、幻だったのであろうか。これからどうして生きて行こうかと、むしょうに淋しく、悲しかった。友人の家を泊まり歩く日が続いた。義兄の忠告で司法書士を受けたがこれもダメだった。何をやってもダメなように思えた。しかし、どうしても諦めきれず、辰巳の夏期答練に行ったが、精神的に完全にまいっていて勉強が手につかなかった。夜はほとんど眠れず、朝になり人の気配を感じるとなぜか熟睡できた。

最小限、答練の復習と基本書の読み込みは続けた。答練は、初めて成績をすて、答練の勉強はしなくなった。十一月から、司法書士試験で出会った岡田弁護士のいる日本法経学院にも通った。ここで基本原理の重要性を教わった。毎回。考えろ!といわれたが、どういうことかよく分からなかった。簡単にいえば、法体系の中から原理原則に帰って、問題点をとらえて行くというようなものであった。原則—例外の法則も、しつこく言われた。そこで、答案は、本質論をしつこく書くようにし、答案もひきしまって来たように思えた。原則—例外の理論は、佐藤
君いっていた事実分析と似通っていた。しかし、この年は、精神的に不安定で満足の行く勉強はできなかった。それに、次第に気力が薄れ半ば試験を諦めかけていた。今年は、多分だめであろうと内心感じていた。もう疲れきっていた。
五十七年択一、不完全な準備のまま択一を受けた。半分はダメだと思っていた。しかし逆に落ち着いて受験できた。発表の日、自分の番号を見つけた時、信じられなかった。急いで論文をはじめた。不十分なまま論文を受験した。四日間、はじめて司法試験を落ち着いて受けた。内容は、出来たのかできないのか自分でも分からなかったが、基本原理をしっかり書けたという印象はあった。合格などは夢にも思わなかった。発表の日、私はアパートで布団をかぶって寝ていたのであるが、友人からの電話で合格を知った。信じられなかった。まさに奇跡であった。涙が止まらず、一人で泣いた。
口述は、人格試験と考えていたので、絶対の自信があった。今迄の自分の行き方からして落ちるはずがないと思った。七日間完璧の出来であった。
五十七年十月三十日最終合格を確認。私の受験生活にピリオドが打たれた。司法試験を決意して二十二年目、やっと目標にたどり着いたというのが実感である。この合格は、義兄、先生、先輩、後輩、兄弟、友人の助けなくしては、又上京以来十五年間仕送りを続けた母なくしてはありえない。本当に有り難うございました。

以上

 
 


 

平成18年 母校 福島県立相馬高校創立110周年記念誌に
寄稿した合格体験記です。
 
 
「相馬から弁護士を目指して」相馬高校 普通科 20回卒業 

門馬 博
(平成18年5月執筆)

 
時々汗をかいて「はっと」して真夜中目覚める事があります。法務省で行われる司法試験の発表が何故か相馬高等学校、や中村第一中学校の教室、廊下で行われて今年も合格できなかったという夢です。教えていただいた先生や友達がいっぱい校庭で騒いでいるのですが、私は誰にも見られないように学校から必死で逃げ出します。あー誰にも会わなくて良かったと思いながら自宅(相馬市大町61番地の丁子屋時計店です)に帰ろうとするのですが、母親がいると思うと申し訳なく帰れません。本当に困ってしまいます。がっかりするだろうなあー。仕送りしてもらって悪いなー。もう30歳かあー、なんて思いながら「新開楼」あたりで迷っていると目が覚めます。あー夢かあー。俺は合格しているんだ!よかったあー疲れる夢だなー。なんて思いながら事務所に出かけます。これと同じ様な夢は若いときほどではないですが58歳になった今でも1、2年に1回は見ます。もう見ないなと安心していると天災のように忘れた頃にまたやってきます。合格した夢を見たいと思うのですがそういうことは何故か今迄一度もありません。
私が弁護士になろうと思ったのは小学校(中村第一小学校)4,5年の頃です。中学生になりその意思は益々固くなりました。近所に、丁子屋書店、広文堂書店があり弁護士という職業に関する本をよく立ち読みました司法試験の専門誌を意味もわからず読んでいたのですが、理解していた事はこの試験は最難関の試験で東京の大学にいかなければ合格出来ないということと弁護士には「普遍の思想、信念」が必要であるということです。上京して大学に入学したら死に物狂いで勉強しなければならないだけでなく、一生涯勉強の人生になるのだということを中学生の時に心ひそかに覚悟しました。
小学、中学、高校を通じ弁護士の基礎的素養は相馬で培われたと思っています。両親がいつも行っていた事は、どのような身分の人でもそれなりの理由があるのですからけして馬鹿にしたり、差別してはいけないということです。実家は時計、眼鏡、貴金属の商をしていましたが、両親は店先に来る物乞い、乞食のような人をいつも大切に扱っていました。その人が帰ってからも「ああいう人をけして馬鹿にしてはいけませんよ」「人間の価値は自分より弱い人にどう対応するかによって決まります」といつも母は話していました。私も、よく店番をさせられたのですが、素性の知れない寺田(仮名)さんという人が、実家の隣の渡邉食品店から10円で玉うどんだけを買ってきて私の実家からどんぶりと醤油、端を当然のように借りて店先でよく食事していました。私たちに「どんぶりと醤油!」なんて平気な感じです。そんなことまでと思うのですが、母親が言うには、「寺田は身寄りが無くて困っているんだから助けてあげなさい。どんぶり、醤油ぐらいなんですか。店先でも客に見えなければかまいません。助けてくれる人がいないのだからかわいそうです。」寺田さんはその後事業で頑張って成功したそうです。それを知って母は「偉い、偉い。本当に立派な人は寺田のような人間です。」と話のごとに喜んでいました。後年私が、相馬であったときの寺田さんは「丁子屋と俺は親戚だから」といって平気な感じでした。
両親の教えが今弁護士の原点です。日本国憲法の基本理念、憲法第13条個人の尊厳の保障。 すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。そして、憲法14条、法の下の平等。 すべて国民は法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。以上の基本原点がここ相馬にありました。そして今尚弁護しとしてあるべき精神的支柱となっております。
高校を卒業し、上京する大雪の早朝、母親が玄関で見送ってくれました。「人生は思う通りにはいかないと考えていれば間違いありません。」「貴方は三男ですからあげる財産は何もありません。ただ、一人前になるまで学費を送ってあげますから東京で道を見つけなさい。」「この家はもう貴方が戻って来るところではありませんよ。」といわれ益々決意を固めて上京したのをはっきりと憶えています。上京して、昭和44年明治大学法学部に入学しました。合格発表、入学金を振り込んだあとその足で、明治大学基礎法学研究室を訪ねました。薄暗い部屋の中に法律の本が山積みされており身震いする想いでした。ついに手が届くところまで来たか。そんな感じです。
2年生となり受験組織である駿台法科研究室に入室し、研修室の主任(元明治大学学長山本進一教授)から研究室主任訓話を渡されました。①常に条文をふまえて考えよ。②基本原理体系の中で考えよ。③誤字脱字は恥と知れ。とだけ記載されていました。この意味内容が理解できたのは10年後の合格直前でした。そして今弁護士となって本当に理解できるようになりました。
入室した同期が60人いました。指導する先輩の弁護士が来て最初にいわれました 。「この中だ3人合格すれば上出来です。ゼロかもしれません。」。3人かあー。厳しいなあー。毎推移日曜日は答案練習会、成績発表です。(これから10数年もこの状態が継続される事になります。私の青春はこの答案練習会に費やされたと言っても過言ではありません。)討論すると。優秀な奴なかりで頭の回転が速くついてはいけません。成績発表でははるか後方にいたと思います。しかし、入室後1年ぐらいで内心「合格」を半ば確信しました。成績は後方でも、小学校から決意して受験を始めた学生がほとんどいなかったからです。当時合格平均年齢が28歳前後、「最後まで戦える奴が何人いるだろうか。そんなにいないはずだ。」「最後に残るのは、俺と誰だろう。」「弁護士になっても負けるはずがない。」結局同期60人から5名合格しました。5番目が私です。
しかしここからが本当に長い長い受験の旅となりました。大学院を経て、中央大学等他大学、司法試験予備校、の答案練習会、法律事務所の研究室入室を繰り返し多くの先生のご好意に甘えさせていただきました。成績は上位、合格圏内でも中々最終合格(3回制)できませんでした。指導弁護士がよく言っていました。「実力がないと合格できないが、実力があるからといって最終合格できるかどうかわかりません」。父は大学院を卒業する頃何も見届けずに亡くなりました。
30歳近くになり次第にこの試験の本当の怖さがわかってきました。法務省で不合格の発表を見て声もなく母親に連絡すると、「そうかい、もうやめたほうがいいです。」「もう十分頑張りました。」「不合格でも私には関係ありません
一番辛いのはあなたですから、」こう言われると何故か又闘志が湧いてくるから不思議です。
相馬に帰郷した時寝室でそばの母親にいわれました。「ヒロシ、どうしても辛い時、どうにも成らないとき、思い詰めてはいけません。ハトぽっぽでも、何でもいいからそこで、知っている歌を唄いなさい。それを何回も繰り返すのです。歌を唄いながら考えることは出来ません。私はそうして生きてきました。」、「ヒロシ。これがお前の歌だといつも思っています。」といって、畠山みどりの出世街道を教えてくれました。歌ってみたら涙が自然に流れました。「やるぞ、みておれ口にはださず、腹におさめた一途な夢を曲げてなるかよ、くじけちゃならぬ どうせこの世はいっぽんどっこ」「男のぞみを貫く時は 的は百万、こちらは1人」。
それから今迄にも増して毎日10時間以上勉強しました。トイレの中も、電車の中も、歩きながら、食事をしながら、さらに狂人のように勉強しました。答案練習会終了後の講評では理解できるまで最前列で質問を繰り返し絶対に帰りませんでした(このことは今でも、当時の受験仲間だった弁護士から「異常」だったよと時々言われます)。酒も一切断ちました。体重が13キロ異常も痩せて高校の時と同じになりました。しかし、どうしても最終合格がきませんでした。合格できない時は原因があるのです。自分で出来ない異常その原因を克服するには克服する方法を知っている人に教えてもらうしかありません。そのためにはたとえ相手が誰であろうと実力がないことを認めて頭を下げ、謙虚になって教えてもらうのです。私の合格のヒントになったのは、意外な人でした。先ず、会社員である義兄から文章の書き方というものを教えていただきました。起承転結
という文章です。何千通も答案を書いてきたのにこんな基礎的なことが解らなかったのか。目の前の霧が晴れたようでした。それと四歳年下の石河弁護士という先生に初心に戻り基本原理を教わり答案を添削していただいたのです。法律の世界でいういわゆる法的三段論法の文章です。
山本進一教授の「研究室主任訓話」がそこにありました。目の前が本当に明るく感じました。年下の先生への恥ずかしさも忘れ唯ただ教えていただきました。長期間の指導が終了し、石河弁護士から「よく我慢したね」と言われました。しかし、それでも最終合格は出来ませんでした。どうしてだろう。こんなに勉強してどうして合格できないのだろう。解りませんでした。私は、ついに不眠症になり夜と昼とが逆転してしまいました。そして昭和56年を最後に司法試験を諦め正式に仕事を探し始めました。初めて精神状態が落ち着き夜普通に眠れるようになりました。昭和57年どうしても諦めきれずにどうせ駄目だろうと思いながら何の準備もせずに受験したその年、何故かどういうわけか最終試験(3回)まで通ってしまったのです。理由は今でもよくわかりません。相馬高校を卒業して実に14年の歳月が経っていました。
最終合格を確認し喜んで法務省の公衆電話から相馬の母親に連絡しました。「そうですか、良かった。良かった。」と一言、それ以外特に何も言ってくれませんでした。
私が弁護士になった後で聞いた話ですが、母親は、私が最終合格できないと思っていたらしく、その後の再就職のためかなりの資金を預金準備していたそうです。その貯金は、合格後私を除いて兄弟全員にわけてあげたそうです。私を今迄迷うことなくお導きいただき、弁護士としての生きる指針を教えていただきました天国のご両親にこの場を借りて何度も何度も頭をたれて御礼を申し上げます。

以上