合格体験記 私の司法試験合格法
奥山 茂
1 はじめに
私は明治大学法科大学院に平成31(2019)年4月に入学し、令和3(2021)年3月に卒業した視覚障がい者です。
まず、私が明治大学の法科大学院に入学できたのは、明治大学法科大学院の事務課をはじめ大学の諸方々の格別のご尽力があったからこそでございます。
また、在学中になんの差しさわりなく私が勉強でき、令和3年に司法試験を合格できたのは、勉強に必要な書籍等の資料を私が読めるように手配してくださった事務課を始めとする大学関係者の皆様や、入学当時においてはできそこないと評価されてもしかたのないこのような私を、熱心かつ根気強くご指導くださった諸先生方、そして、日々の生活や授業時間において、きめ細かにサポートしてくださった同級生をはじめとする在学生の皆様のご協力があったからこそでございます。
この場をお借りして厚く御礼申し上げます。ありがとうございました。
2 法曹志望の動機について
私は福岡県出身です。私は小学2年生の7月に事故で両目の視力を失いました。そこで、私は、福岡県立の特別支援学校に転校し、中学までそこで学生生活を過ごしました。
そのころの社会において、視覚障がい者の職業といえば、現在とは異なり、いわゆる針・灸・アンマだという固定観念が、かなり強かったと記憶しています。私はそこにずっと違和感を持っていました。視覚障がい者だろうとやれる仕事はほかにもあるはずだと強く感じていました。
そこで、私は両親の勧めもあり、高校は、いろんな人が大勢いる東京の高校に進学することとし、単身東京にやってきました。東京なら違った考え方も数多くあるとも思ったからです。しかしながら、やはり、その時代では東京であっても視覚障がい者の職業といえば針・灸・アンマだという考え方は、強くありました。
誤解を避けるために、私は上記の職業に対しては尊敬の念を持っています。本当にその職業が好きで、または、だれかの健康を維持・増進しようとして上記職業に就く方は数多くいらっしゃいます。その方々には敬意を表します。私が持った違和感は、あたかも視覚障がい者の職業が上記の職業だけであるという固定観念に近い考え方が社会にあったことでした。
加えて、障がい者は社会において弱い立場であることは周知の事実です。その弱い立場を少しでも改善できる職業につけたらなとも思っていました。
そこで、私は、上記の社会的観念を変化させつつ、障がい者の立場を向上させる職業として弁護士は最適なのではないかと思って司法試験の合格を目指すこととしました。そして令和3(2021)年にめでたく合格することができました。
3 私が思うことと勉強法について
そうだとしても、みなさんがある目標を持った場合、その目標を達成するに足りる時間を設けられるのであれば、是非目標達成へのチャレンジをしていただきたいなと思います。
そして、目標達成のための時間が確保できたとするならば、問題はおそらく、自分が、気力を含めた目標達成に対する力、すなわち、努力ができる力を備えきれるかどうかという点に尽きるのではないかと思います。ある目標を立て、それを達成する過渡期には、必ず、自分には目標達成のための能力がないとか、周りに無理だからやめとけと言われ、精神的に不安定になってしまうこととか、目標達成のための努力を阻むものが数えられないほど出てきます。そのときに、そのようなネガティブな心理状態から自分を解放し、目標を達成するための心理状態を維持または構築し直す力をしっかりと備えること、それがもっとも必要なことだと私は思います。
確かに、司法試験の合格者を出す大学には偏りがあり、どこどこの大学では司法試験は無理じゃないかとか言われる場合もあります。しかし、それはデータという客観的指標の一部を取り上げて、あたかも全体の正当な評価の体をなしているように見せかけられたものにすぎません。
5月に行われる司法試験はいわゆる学歴で合格が左右する試験ではありません。受験するときの自分の持つ力のみによって合否が決定される試験です。上記のデータは、単なる合格者に関する傾向を示す一資料にすぎないことは、司法試験の答案に学歴等を記入すると採点対象外となって不合格となると言われている司法試験の制度趣旨からも明らかだと私は思います。したがって、司法試験の合格という目標を達成するために必要なことは、試験突破に足りる法的素養を自分が備えているかどうかという1点に絞られます。私は法科大学院しか知りませんが、法科大学院に限って申し上げると、明治大学の法科大学院を支えてくださっている諸先生方に付き従い学べば、間違いなく司法試験合格の法的素養を備えることはまったく問題なく可能だと思っています。
では、正確な理解をするにはなにが必要でしょうか。私は、条文については、まずは法令の趣旨や目的(多くの法令は第1条に規定されている)をしっかりと理解し、そののちに、問題となる条文を抽出して、その法令の趣旨や目的に合うように解釈できるようにする癖をつけることだと考えています。これができるようになると、司法試験でまったく見たことのない条文が参考資料に出ても怖さはほとんど感じず、当該条文を理解できるようになると思っています。怖いのは、法令の趣旨・目的および条文の文言・そして最大は問題文の内容を読み間違えるという自分のミスです。これは本当に充分注意しなければ、合格できる力があっても目も当てられない結果となってしまいかねません。
次に判例については、面倒くさがらずに、できれば有名な書籍に抜粋されているものではなく、現物を1度しっかり読んでみることだと思います。判例がどのような事件にいかなる条文を適用して事件を解決しようとしたのかを、上記の条文理解法に照らして自分なりに考えてみるといいのではないかと思います。
そして、これは最も重要なものの一つだと思うのですが、自分の理解を自分の中だけにとどめず、先生や専門家に訪ねてみることです。おそらく最初は徹底的にしょげるほど自分の理解力のなさに打ちのめされることと思います。そこで、しょげても、次にまた自分の理解を修正して、先生に尋ねることが非常に重要です。これが、(3)の冒頭に書いた理解力と表現力の相互関連性を持つ行為であり、両者のスキルをアップさせてくれるものだと思うからです。この徹底的に打ちのめされることが自分の目標達成のための力をつけてくれると思います。そして、明治大学の法科大学院の諸先生方は、そのスキルアップのために本当に粘り強くご指導してくださいます。
一元化する場合、やはり一番お勧めの資料は基本書・判例集および司法試験の過去問です。私は、健常者と異なり、基本書や参考書を書店で購入すればすぐに勉強できる立場にはいません。そのため、自分が持っている書籍は、ほぼ基本書と判例集くらいです。このふたつでさえ、自由に選んで読むことができないために、大学の授業に指定された基本書と、推奨された判例集にプラスアルファーの問題集くらいの書籍しか持ち合わせていません。それでも合格することは十分できます。沢山の参考書に目移りし、情報が有り余る方が合格に不向きなのかなとも思っています。
そこで私は、まず、判例を素材とする本試験の択一の過去問を解いて、間違ったものを抽出してパソコンの中に作っておいた弱点文書ファイルにまとめていました。判例は絶対なので、とにかく判例の問題を解きました。司法試験の判例を素材とした択一の問題は、判例を多角的かつ正確に理解していらっしゃる諸先生方が作成されたものなので、判例を理解するには一番有用性が高いものだと思ったからです。次に、それでもよく分からないときに判例集や基本書で深く勉強しました。その結果は、パソコンの弱点ファイルに書き込み、他のファイルに分散させることは極力さけました。このやり方は今も変わりません。
もちろん論文についても過去問重視です。国家試験において、採点官の先生が、どのような趣旨で問題を作成されたのか、またどのような観点から採点されているのかが公表されている試験は司法試験しかないと言っても過言ではありません。そのようなすばらしい諸先生方が作成された問題を、とにかくなんとか合格ラインに達する程度に書けるようになれば合格できるだろうと思ったからこの方法を取りました。択一で判例をしっかり勉強すると、実は論文ともリンクしている場合が多いことに気づきました。ので、択一の問題は判例を素材としたものを最重要視して間違いではないなとも感じました。この方法も一番有効的だったと今も思っています。
このように、私は司法試験に対してはとにかく情報を過去問に絞り、自分の弱点がなんなのかを抽出するやり方をとりました。
4 最後に
とても長文で申し訳ございませんでした。
私は、本当に目標を持ち、それを成し遂げたいという気持ちがあれば、その目標をだれでも達成できるのだろうと思っています。自分の境遇や年齢が目標達成の障壁になることは十分私も経験しているので分かります。それでも、このような私でさえ司法試験に合格できたのです。
「なせばなる」
本当にそうだと思います。私のこの文章が明治大学のみなさんになにかしら役立てば幸いです。
以 上